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死者と向き合うこと


以下転載


これはケースバイケースで、必ずしもここに述べたことが起こっているとは限らないことを先に断っておきたい。

よく、道ばたに花束や個人の好きだったものを供えている光景を目にする。おそらく、その現場で交通事故などで非業の死を遂げた人に対する遺族たちの哀悼の念から行われていることなのだろう。

しかし、私たち四国の拝み屋のサイドから、このような行為を行うことは、必ずしも死者を成仏(神上がり)する効果があるかどうかは疑わしい。

というのも、亡くなった人の死の瞬間の状況によっては、自分がどこに行けばよいのか逆に分からなくなってしまい、「迷う」ことが起こるからである。特に、即死の場合、いつまでも自分が亡くなったことを自覚できず、そのままの状態で、現場に佇んでいることがある。そこに遺族たちが花束などを供えに来ると、そこが自分の眠る場所、すなわち「ここがお墓なんだ」という風に解釈するようになる。

そこで、私たちがこのようなケースに出会った場合、まずアドバイスすることは、事故現場での供養は初七日まで、最長でも四十九日までにとどめること。個人の魂が帰る場所は、先祖代々の墓であり、あるいは仏壇であることを遺族にも理解してもらい、そこに連れて帰って、供養を続けることである。

愛する者を失った遺族の悲哀は他者には計り知れないほどのダメージをもたらすことがある。それに対する心のケアも提案されてはいるが、果たして魂のケアが抜け落ちていないかどうか、その点を指摘しておきたい。

死者は死後しばらくの間、遺族たちの様子をつぶさに観察している。当然、自分が遺した人たちへの無念の思いや悲しみ、ときとして自分がなぜこのようなことになってしまったのか、怒りさえ感じることもある。

したがって、死者のそのような思いに対して、遺族が煽るような思いを起こさないようにすることも大切である。

現代の日本人には、この辺の死生観が確立されていなかったり、曖昧だったりもする。別れは確かに悲しい出来事ではあるが、この悲劇から立ち直っていくのは遺された生者だけではなく、死者も同様であることに気づいてほしい。

自分の意に反して命を奪われた事に対する後悔、怨念が残ると、死者は現場に留まり続け、ネガティブな想いを持った想念体をドンドン引き寄せるようになり、事故が頻繁に発生する場所になってしまうこともある。

遺族の愛情が執念に変わり、死者に対する執着になればなるほど、死者の成仏(神上がり)は遅れるようになる。スピリチュアリティ意識の中には、手放すことや赦すこと、悲劇性への気づきも含まれている。

これは言うは易く行うは難しの辛いプロセスではあるが、供養の気持ちは維持しつつも、亡くなった人が本当に安らかな眠りにつけるようなお膳立てを、遺された者も整える必要がある。そして、神仏意識による計らいが働くようになれば、自然とネガティブな出来事の連鎖はストップするようになる。


以上

【転載元】
■Livin' On A Prayer #3: 死者と向き合うこと
http://novocaine.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-a25a.html





オマケ

「いなくなったヤツより残された人のために」by 忌野清志郎 


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